もう、あれから一年ですね。
今日この日に、
同じテーマでブログを書く人は沢山いるのだろうなぁと思いながら書き始めています。
少し私の為に私自身の事を整理しながら書いてみようと思います。
地震があった時
私は3Fの会社に居ました。
危険の認識度や恐怖心がかなり低い(疎い)私なので、
震度5の揺れの中
「そんな事いいから!」と会社の人にせっつかれながら外に出て
ひどく揺れている信号や、
道端で腰を抜かしているお婆さんや、
泣きわめく子供達をただぼーっと見ていたような気がします。
電車が動かず
渋滞や混乱が起きていて
結局10キロの道を歩いて帰りました。
いつもは45分かけて電車で帰る道のりを
一人で歩いて帰れているという事が、
「私は大丈夫、もっと酷い事が起こっても家まで自力で帰れる」と思えて
なんだか妙に嬉しかった。
ただそれだけの1日だと
その時は思っていました。
翌日になり分かってくる状況。
祖父母のいる山形は大丈夫なのか
東北はどうなっているのかと気にかけている中で
「宮城県」というワードが
どこかで目にした文字として私の頭の中に浮かびました。
まさかと思いメールを探し
どうか内陸であって欲しいと思いながら
住所を見て地図を開きました。
宮城県
石巻
海の近く
浸水している場所
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MYHOUSEの小林です。
御返信はずっと後(後回し)でかまいません。
ご無事をお知らせください。
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3月12日
会った事もない人に対し
何をどうすればいいのか分からず
どうしよう、どうしよう…
と混乱しながら
書いては消してを1時間以上繰り返していました
無事かどうか聞いた所で何ができるというのだろうか
聞いて私はただ安心したいだけなんじゃないか
返信がきても何も出来ず
「よかったです」で終わるくらいなら送らないほうがいいのではないか
阪神大震災の教訓みたいな情報を何度も読みながら
自分が出る幕ではないのではないかと
そうやって混乱しながらだったので
私の心情的には
「送ってしまった」と言った方がいいかもしれません。
1日1日と過ごすうちに
私がぼーっと見つめていたあの地震が
日本に一体何をもたらしたのかが、どんどん明らかになってゆく。
私が自宅まで歩いて帰っている間や
停電で何も出来ずに煙草を吸っている間に
東北で何が起きていたかの詳細が明らかになってゆく。
それと比例して、あさましい光景を近くで見るようになり
「私はどうするべきなのか」「どうありたいのか」というよりもむしろ
「こうはありたくない」「この列に加わってたまるか」という一心で
ひたすら東北のニュースを見ていた様に思います。
何かしたい
でも何をすればいいのか分からない
何ができるのかもわからない
何事もなく過ごしているのが辛かった
自分の無力さを感じるのが辛かった
場所が違うだけでこうも違うものかと受け入れがたかった
恐怖や悲しみを想像すると心がバキバキと崩れた
何事もなく無事で居ることがなんだか恥ずかしかった
東北に雪や雨が降ったと知る度に神様は居ないと思った
そして、そんな事を思うしか出来ない無力な自分を
最終的には責めているしかなかった
そうやって過ごしていた4月5日
石巻からの一通の返信が来ました。
この内容や後に続く事柄は記事にも書いたので省略しますが
こんなに早く返事を頂けるとは思っていなかったので
とてもびっくりし、安心しました。
そして、やはり
読み終わった途端
どうしよう、どうしよう
どうすればいい…と混乱しました。
何かできないか
何かしたい
小さくてもいい
1日でも数時間でもいいから
何かの足しになれる私でありたい
よく考えろ
きっと何かできるはずだ
私にもきっとなにか出来る
無駄足
混乱の助長
気休め
偽善
色々な言葉が思い浮かんだけれど
石巻行きを決めた時には
「自己満足でかまわない、偽善でいい」
と踏ん切れました。
「足りない布団を届ける」という自己満足
誰かの何かの為では全然なくて
やはりあの時の私への…自己救出の為の偽善。
物資を届ける為だけに石巻へ到着
「何が起こったのか」をこの目でしっかりと認識しました
映画のセットとしか思えないような
現実離れしたような現実
30日前に何があったのか
どれだけの地獄があったのか
私の脳味噌ではとてもじゃないけれど想像が追いつかなかった
放心しそうになる自分を抑えて
漠然と「とにかく伝えなければ」と写真を手当たり次第撮りました
伝えてどうなるとか
何かが変わるとか
誰かが答えてくれるかもしれないとか
ブログで呼びかけをしていながらも
そういう物は正直あまり期待していませんでした。
でも
ブログに報告し
掲載した途端に沢山の人が答えてくれました
沢山のメールを頂き
その中で石巻に向かってくれた人や
物資を送ってくれた人や
「やれる事があれば」と声をかけてくれて
支えになってくれた人が本当に沢山いました。
その顔すら知らない繋がりが
本当にとてもとても力強く
石巻から帰ってきてからは
パソコンの前で何度も何度も感謝しました。
ああ、
この画面の奥には気にかけてくれている人達が沢山いる
勢いに任せて石巻の事をブログに書いた意味が
漠然と写真を撮った意味が
石巻に盲目的に向かった意味が
混乱しながらメールを送った意味が
最終的には
今までブログをやっていた意味が
さかのぼりながら
その時になってはじめて、
私の中で繋がった気がします。
自分だけではないという事が
どれだけ心強いかと
ほんとうに感謝しました。
あれから1年
気まぐれクラフトの注文をMさんがしてくださり
刻印はと聞いたら

「みなさんとの繋がりを持てた日を忘れないために」
泣きそうになりました
…うそです
泣きました。
1年前のこの日によって
私は何を知り何を学んだのかと考えました。
何かが起こり
何かをしたいと思っているにもかかわらず自分の無力さを知った時
人は貝になる事を知りました
何も出来ない事を責め、動けない事を責め
自分を傷つけながら傷ついてゆく
そして何かしたいと思っている自分を閉じ込めてしまう
でも、本当に大切なのは
人それぞれにやれる事をやれる時にやる事
「無力という影」で「望む自分」を覆ってしまわない事
実行出来るか出来ないかの前に
まずは「望む自分」が其処に在る事
何も出来ない自分を嘆く事ではなく
何かしたいと思っている自分を持ち続ける事だと思いました。
私は本当にたまたま「無力さ」に自分が負けてしまう前に石巻に向かう事ができて
たまたま掲示板をつくるノウハウがあった
連絡をしたり、発送する余裕がたまたまあった
でも、ほんとうにそれはたまたまで、
2010年だったら全くできなかったかもしれない。
来年は余裕のない私かもしれない。
色々な事情が人それぞれにあり
出来ることと出来ない事がある
それには共通の定規などなく
人それぞれが持っているものだから
その人その人の定規でいい。
その定規の中で
望む事を行動する
その行動が、たとえメール1通であったとしても
それはちゃんと何かの力になり形になる気がします。
現に皆さんから貰ったメール一つ一つが
私の背中を優しく力強く押してくれました。
その一つ一つのメールの内容を東北に伝え
「私の他にも気にかけてくれている人達が沢山居るから大丈夫です」と
言う事が出来ました。
現実的な物資と同じくらい、人の想いは「力」になるのだと知りました。
これからも、私が生きている間に
何かが起こるかもしれない。
私の近くで起こるかもしれないし
遠くで起こるかもしれない
その時
体力的にも精神的にも金銭的にも
ほんとうに全く何もできない私だったとしても
背中を向けず、諦めず、肩を落とさず、目をつむらず
「自分にやれること」を探す私であろう。
本当に何もできない私であったとしても
「何もできないんだから仕方がない」と諦めず
動いている人達に「がんばって」とせめて一言
心から渡せる私であろう。
それが無力であったとしても卑屈にならず
きっとそうしよう。
声をかけて下さった方達、Mさんのおかげで
「無力さ=無意味」として捉えていた私が
実感や経験として、心の中にそう書き留める事ができました。
最近は
ブログの方達とメールや電話やお会いする事もあったりで
1年前よりも繋がりを感じる今日この頃
勝手気ままなブログにお付き合いくださり
声をかけてくださり
ほんとうに
ありがとうございます。
えっと
こっ恥ずかしい・・・のですがね
ここでの繋がりは
結構
私の中で大切だなぁ・・・と思ったり・・・します・・・はい
だから
ありがとうございます。
ありがとう。
1年経った今でも印象的だったMさんの言葉があります。
津波で丸2日間2階に閉じ込められ
真っ暗で、雪まで降ってきた震える寒い夜
「今まで贅沢をしてきたから、神様が私達に罰をあたえてるのかなぁ…」と
ご友人と月明かりの雪を見ながら話していたそうです。
神様なんて絶対居ない!と私が思っていた同じ夜に
そうやって空を見上げていた人がいたんだなぁと
そのお話を聞いたときに、すっと心が洗われました。
機会がないとお知らせできないので…
東北の為に作った「いるよあるよ」掲示板は
いつでも稼働できるように設置しておきます。
天災などの場合、通信系は一番弱いですが
万が一役立てられる事があれば
管理者権限を移行する事もできるので
遠慮なく声をかけてください。
そして牡蠣が大好きな私が魅かれたものを最後に…
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復興支援 復興かきオーナー制度
「壊滅的被害を受けた三陸牡蠣再生を目指すプロジェクト」と題されています。
1口1万円(牡蠣15個)
内70%が生産者の牡蠣養殖のための資材、設備支援、生産者への牡蠣仕入れ金に活用されるようです。
このプロジェクトのゴールは
「三陸の牡蠣生産者が、被災前の状況に戻ること」
復興後の牡蠣を前払いで購入することで復興のお手伝いをし
何年後か分からないけれど何年後かの復興の暁として牡蠣が届く。
活動報告もとてもしっかりとしていて
支援先の個人名が明記され、用途と支援額が10円単位まで報告されています。
活動報告
とても現実的で明瞭なプロジェクトだと思いました。
いつか届く牡蠣
三陸が復興したよと
牡蠣が静かに教えてくれる
たった15個だけど
すんごーーーーーーーーーく美味しそうっ!
涙が出るほど美味しいのだろうと
今から生唾を溜めています(笑)
2012年3月末日が締め切りだそうです
牡蠣好きで興味のある方は覗いてみてくださいw
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とりあえず
雪道は運転できないので
4月になったら山形→石巻コースするぞーっ!
あ、
ちなみに

間違えた刻印も堂々と送りつけました(笑)
色々な問題がたくさんありますが
20011年までこの世界がちゃんとありますように
そして
私自身が
それを忘れないように











コメント
書いてくれてありがとう。
去年の“今日”が無かったらcaworiさんとお会いすることもなかったし
石巻もMさんも知らなかったと思う。
あの最悪な日は二度と起こって欲しくないけど、
こうして繋がりを持てたこのブログにcaworiさんに感謝したい。
何もできない自分を何かできる自分に変えてくれた。
あの時背中を押してくれてありがとう。
そしてそしてこれからもよろしく。
私も3.11がなければカヲリさんにメッセージを送ることもなく、Mさんに物資を送ることもなかったかもしれません。
私の力など役にたたないかも、余計な物資を送ってしまったかもと色々考えたりもしましたがこれも大切な繋がりなんだ、と今は思っています。
そう思わせてくれたカヲリさんに感謝。
何度も何度も今日の記事を読み返しました。
私はテレビであの場所に「ボランティア」と称して、交通手段も悪い中で手ぶらで行ったりしてあの人たち何なの?!と思ったり
上から目線で「(手助けを)してやってる」的な人が許せなくて許せなくてもやもやした日が続いていたりもしました。
かといって私がしてきたことといえば節電やわずかな義援金をし、東北産の野菜をなるべく買うことをしてきただけ。
それだけしかやってこなかった。
今でもそれしかやっていないんです。
でも、今日のcaworiさんの
>「自分にやれること」を探す私であろう。
って言葉に背中を押された気がします。
今私にできること。
1年前も1年後の今も同じように
節電をし、義援金をし、東北の産物を買おう。
よし!
牡蠣が大好物な夫のために三陸牡蠣を買おう!!
夫への愛もこめて(?!)
いつもいっぱいいろんなことに気づかせてくれて
caworiさん、ありがとう^^
息子が産まれて退院した翌日、里帰り出産で帰郷していた福島での震災。
あの揺れは死を感じました。。。
私の実家は原発からも近くはないし、運良く、ライフラインもすぐ回復しました。
あれから一年。まだ一年。瓦礫はまだ6%しか処理されていないみたいですね。
私は旦那と福島でお店をやるはずでした。
しかし見えない恐怖の放射能。まだ小さい子供を思い、やめました。実家にもあまり帰りたくなくなってしまい…こちらで中古一戸建てで二世帯物件を買いました。いろんな思いがあります。親の知り合いは、銀座に福島ナンバーで信号待ちしていたら、ドアを叩かれ、福島め!と言われたそうです。だからか、両親は車で遊びに来ると、何気にナンバーを気にしています。
福島はなにも悪くないのに。
でもかをりさんのように、こちらにいてこのように行動や、感じてくれている方に出会うととてもうれしくなりました。私も救われたのです。
たかがブログ、されどブログです。
でも悲しんでもいられないので、中古一戸建てでも楽しんでいきまーす笑
かをりさ~~~ん くう~~~泣けてくるぜ~~~!!
被災地・被災者・・・・確かにつらい・・でももう・・
震災から1年・・・・おもっくるしいのはいや~~んなので・・・かをりさんのブログを通してたくさんの方々にめぐり合えた日を本当に心からうれしく思っています。
本当にかをりさんには感謝感謝・・・この言葉しか思い当たりません!! たくさんたっくさんありがとう!!
本当にありがとう!! こんな感じでしか言葉にできない私ですがこれからも すえなが~~く宜しくお願いします。^-^
>かっちゃん
うん、本当にこの日がなければ知る事のなかった物が沢山あったのだなと思う。
かっちゃんの行動力には本当に感動しました。
「とにかくなんとかしなきゃ!」って
その気持ちに私も背中を押してもらえました。
うん、私もありがとう。
旦那様にも宜しくお伝えください
>ayuさん
そうなんですよね
支援できる側が一体何をどこまですればいいのか分らない。
もっとできるけど迷惑にならないだろうかと
そういう遠慮みたいな壁がどうしてもあって、私もそれにかなり悩みました(笑)
こちらこそ声をかけていただいてありがとうございました。
ありがとう。
caworiさん、こんばんはー。
今回の記事、すごく心に響いて何度も読んでしまった。
実は同居人の友達が女川に住んでいて、しばらく連絡がとれなかったんです。
何度も何度も連絡をして、安否確認の掲示板で検索して。
だけど、もしも連絡がとれたところでワタシたちに何ができるんだろう。
ただ自分たちが安心したいだけなんじゃないだろうかって。
caworiさんと同じことを考えていました。
連絡があったのは3週間後で、知らない携帯番号からでした。
何をしても足りない気持ちが拭いきれず、自分のしていることが
ほんとうに正しいのかもわからないけれど
やっぱり「今」自分の出来ることをやるしかないんですよね。
それが自己満足だろうが。偽善だろうが。
caworiさんの記事を読んであらためて強くそう思えました。
ほんとうにありがとう。
>harmonyさん
時間がなく返信おそくなりました(汗)
私も「観光気分」「自分探し気分」のボランティアの話を聞くととてもイライラしました。
でも、じゃぁ自分が行けるかと問われれば行けなかった。理由は「早起き無理」「団体行動苦手で嫌い」「体力に自信なし」などなど…お恥ずかしながら実は自己中な理由だったんです。
一人でも多くの手が在ったほうがマシなのか
遊び半分なら無い方がマシなのかは、現地でしか分らないことだから、私は未だに分らないままです。
harmonyさんの
「それだけしかやってこなかった。今でもそれしかやっていないんです。」という言葉を何度も読みました。
うまく言えないのですが
そう言えるって、ずっと考えていらっしゃったからなんだなと私は感じました。
harmonyさんにしたら
「それしかしていない」かもしれないけれど
それで充分!とも私は思います。
「それしかしていない」と思うからこそ
牡蠣プロジェクトに参加しようと思っってくださったのだと思うし
ボランティアに1回行って力を出し尽くす人も居て、
一方では「何もしていない」とご自分なりの負い目と向き合いながら長く長く気にかける人も居て
もしかしたら、それが「物事のバランス」なのかもと、書きながら思いましたw
>それだけしかやってこなかった。
>今でもそれしかやっていないんです。
って言えるのって素敵な事です。
私も含め言える人って少ないと思います、多分。
牡蠣賛同ありがとうございますw
高~~~~い高級牡蠣、堪能しましょうねー////
>おさるさん
うーーー…ほんっとひどいですね。
ここだけの話、災害が東京に来ればよかったのにと何度も思いました。
そうすれば政府の対応も人の対応も全然違っていただろうにと思います。
保身ばっかで、人の痛みにより添えないやつらが多すぎます。本当に保身ばっかなんですよ。人の故郷をなんだと思ってるのか、人の悲しみを何だと思ってるのか、
私もかなり自己中な女なので綺麗事は言えないのですが、それでも自分の中に人を踏み台にするような悪魔が棲んで居なくて良かったと今回思ったりしました。
被害にあった方の気持ちはやはり分らない。
分るのは自分が理解できない程の悲しみや悔しさや大変さがあるのだろうという位なので
お話を聞いても返す言葉が見つからないのが正直なところなのですが
でも、知りたいと今も思います。
だから書いてくれてありがとうございます。
ご両親には「ナンバーなんて気にすんな!」とお伝えください。
人間として終わっているのはあいつらです。
東北の人達は色々なものを抱えながら
それでも乗り越えようと努力をしている強くて優しい人達なのだから
だからどうか堂々としていて欲しいです。
肩身なんて狭くしないでください。
色んな理由で辿り着いたお家
たっくさ~~ん改装して「離れたくないっ!」って思えるような家にしてください!
私も負けずにがんばります!
>aophissuさん
はいはいw
いや~~~ん、ですねw
初めて会った時の一言目が「風除室ーーっ」だったから
きっと前を向いてがんばれる人なんだと思ったよ。
しつこいけど、ほんとアレには笑ったー
「おいおい、被災中だろ?」って(笑)
aophissuさんと電話で話すと私が元気をもらったりしていたし、
なんていうんだろう、私にはない強さがあるのですaophissuさんは。
4月また連絡しますっ!
>nicoさん
うん、そうおもっちゃうよね。
この遠慮とか迷いとかもどかしさの感情は
逆に被災者側には分らない…はず!(笑)
結局「分らない者同士」なんですよね。
でも「分らない者同士」でも、
なんとかその壁を越えようと前に進めるのは幸せなことでした。
あ…私がもう一つ学んだことは
万が一私が被災に遭ってとんでもなく大変になったら
手を差し伸べてくれた人にどっぷりきっちり甘えようと思いました。
ああいう時は本当に「遠慮」しないほうがいい(笑)
お友達、無事で良かったですね。
本当に良かった。
nicoさんの自己満足と偽善は
お友達にもきっと届いていると思います。
実際、人のやる事なんて
ほとんどが自己満足と偽善な気もするしーw
(↑超開き直ってる女…笑)
こちらこそありがとう。
おさる 様へ
車のお話(福島ナンバー) 人様のコメントなのに 読んでしまいました…。スミマセン
日本中が応援してるから頑張ろう! と聞こえ続けた一年なのに そんなことをする人がいるなんて 苦しい と思いました。ごめんなさいそんな事をする人がいて。 と思いました。 同じブログを「見ていただけ同士」でしかありませんが そんな心無い人ばかりではないよ、少なくとも ここで 「見ていた同士」達は。。 このブログが少しでも癒しになれば…嬉しいです。 (私のブログではありませんが…汗)
かをりん へ
書いてくれてありがとうね。。。
>パグパグへ
うん、ありがとう。
こうして書いてくれると伝わるから
嬉しいです。
ありがとう。